2月28日
加藤鞆美作 四分の一小桜革威兜 金屏風竹と月の風流な蒔絵の屏風のセットです
限定商品になります
武田信玄公の先祖の兜になり国宝文化財にも指定されている
鎧のモデルの兜になります
小桜革脅しの兜とは
楯を必要としないほど堅固な鎧という意味で、俗に「楯無鎧」といわれる鎧である。
甲斐源氏の祖新羅三郎義光が父頼義から伝えられ、以来、日の丸の旗とともに「御旗楯無」とよばれて、武田氏の惣領のしるしとして代々伝えられる鎧である。
天正10年(1582)、武田勝頼が田野(甲州市大和町)で自害し滅亡した時、勝頼は16歳の嫡男信勝に擐甲の礼(元服・鎧着の式)を陣中であげたあと、家臣は織田方の手にわたるのを恐れ、向嶽寺(甲州市上於曽)の庭に埋めたが、のち入国した徳川家康がこれを聞き、発掘させて当社に納めたと伝えられる。
鎧は伝えのように、鎧として一応の形を整えたもっとも初期の藤原時代のもので、この時代の鎧として現存するのは、ほかに厳島神社(広島)・大山祇神社(愛媛)・御岳神社(東京)などにわずか5領あるのみで、きわめて貴重な遺品である(いずれも国宝指定)。
小桜韋の名は、小桜の紋がびっしり施してある小札によって大袖や草摺が威されているところから生じた名称である。